すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。
たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。
というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
しかし、神の言が無効になったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、
このように、わが口から出る言葉も、 むなしくわたしに帰らない。 わたしの喜ぶところのことをなし、 わたしが命じ送った事を果す。
兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。
しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。
彼らは力から力に進み、 シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。
またイスラエルの栄光は偽ることもなく、悔いることもない。彼は人ではないから悔いることはない」。
神は人のように偽ることはなく、 また人の子のように悔いることもない。 言ったことで、行わないことがあろうか、 語ったことで、しとげないことがあろうか。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
神の賜物と召しとは、変えられることがない。
わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。